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八股榎お袖大明神 縁起

八股榎お袖大明神 近影千二百年の昔、弘法大師は利口で機転の利くキツネを可愛がっていましたが、勝手気ままでずるがしこい振る舞いに腹を立てて四国から追放し、正直で明朗、太っ腹のタヌキを可愛がるようになり四国はタヌキの王国となりました。天智天皇の時代から伊予に住みついた隠神刑部狸(いぬがみきょうぶたぬき)が率いる八百八狸がこの地の豊作や繁栄をもたらす守り神として信仰されていました。

その後の松山城築城にあたって堀を造り、山の麓に流れていた川筋を変えて石手川として重信川と合流させた際、堀端に植えた榎の木は幹が八股に分かれて大きく育ち、街のシンボルとなって榎町の町名もつきました。

この八股榎の空洞をねぐらに道行く人々を眺めていたお袖狸が、腹が痛くなって難儀をしていた老婆を助けたという噂話が広がり、八股榎とお袖狸の神通力にすがろうと、ご利益を求めてお詣する人々が集まるようになりました。

江戸時代には、藩士とのいざこざや、いたずら化かし話、明治には電車開通と榎伐採問題、大正には元市長の助産によるお袖狸のお産、昭和には八股榎の遷座、お袖の引越騒動、平成には札幌本陣狸との縁結び、お袖像の盗難など…話題は絶えません。

時は移り今の世にも、霊験あらたかなパワースポットとして、健康・縁結び・出産・学業・事業・芸能・勝負など、望みや悩みを祈願する参拝者を集め、松山市民はもとより全国の善男善女からも心のよりどころとして親しまれています。

監修:山岡 堯(いよ狸サロン)、村井 正良(久谷伊予八百八狸保存会)

[ 主な参考資料 ]
1.「八百八狸」揚名舎桃李(明治29年) 2.「伊予奇談伝説」西園寺源透(大正10年〜昭和10年)
3.「伊予の山水と人物と事業」浅井伯源(昭和5年) 4.「伊予路の伝説・狸の巻」合田正良(昭和26年)
5.「たぬきざんまい」冨田狸通(昭和39年) 6.「いよ狸レポート」山岡堯(平成11年〜)
7.「松山百点」(平成6年、平成12年) 8.「お袖狸、汽車に乗る」玉井葵(平成15年)
9.「伊予久谷界隈はええとこぞなもし」山野吉幸(平成22年)

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